自己紹介

こんにちは、ばせと申します。

私は
【文系新卒でITエンジニア→1年半で退職してニート→雀荘でアルバイト】
という遍歴を辿り、現在は派遣社員として広告会社に勤務し、進行管理の仕事をしています。

このブログは、

  • ろくに就職活動をせず新卒でIT企業に入社し
  • 一年ほどで未経験転職を志した
  • 【微努力】【微スキル】【微経歴】の人間

が、転職活動に何度も挫折しかけた経験から学んだ知識を発信する場です。

このブログで皆様の心に寄り添えたら

  • 「新卒で入った会社が自分と合わない!もっと情報収集と自己分析しておけばよかった…鬱…」
  • 「次の転職先が見つからずに辞めちゃったけど、気持ちが折れて再就職の見通しが立たない…」
  • 「ニートで何もできていない自分が嫌だ」
  • 「転職活動が上手くいかなくて心が折れそう…」
  • 「自分なりに調べて転職活動に挑んでいるけど、これ以上何をすればいいんだろう…」
  • 「人に頼った方がいいって分かっているけど、申し訳ない…」
  • 「結局、自分はどんな仕事がしたいの?どんな仕事ができるの?そのために何をすれば…!」

これらは全て、ITエンジニア時代、ニート期間中、転職活動中に遭遇した悩みでした。
そして、この悩みに正面から向き合って解決しようとした結果、転職活動のみならず、人生の生きやすさそのものが向上したと感じます。

転職活動に関する基本的な知識である

  • 履歴書や職務経歴書の書き方
  • 効果的な自己PR
  • 適職の見つけ方

は、もちろん、

  • 人を頼れるように or 自分一人で決められるように変わる方法
  • 過去や今の自分を受け入る方法
  • 健やかになれる休職中・退職後の過ごし方の提案

など、転職活動中に直面するメンタルヘルス関係の問題も取り扱っていきます。

このブログの目的は、自分に目を向けるようになった人が抱える悩みの解消です。
私と同じような悩みを抱えているあなたの心に寄り添い、解決のきっかけ作りとなれるような存在になれたら幸いです。

プロフィール

  • 名前:ばせ
  • 年齢:25歳(2024年4月時点)
  • 性別:女
  • 最終学歴:大学(経営学部)
  • 職歴:ITエンジニア(正社員)→ニート→雀荘(アルバイト)→広告会社(派遣)
  • 性格:内向的、何事もほどほど、見栄っ張りで人に頼るのが苦手、好奇心はあるけど頭でっかちで行動力なし、オタク気質
  • 趣味:アニメ、漫画、読書、料理、SNS、散歩、インターネット麻雀
  • 好き:だらだらSNSを見る、猫、絵を描く、文章を書く、自然に触れる、少人数の集まり
  • 苦手:営業スマイル、考える時間が与えられない、意見を押し付けられる

経歴

新卒でITエンジニアに

サークル活動やアルバイトに精を出すわけでもなく、「単位が取れればいいや」程度のモチベで講義に向かう、特筆すべき点の一切無い大学生でした。
インターンも行かず、三年生の三月を迎え、ありとあらゆる準備が何も出来ていないまま就職活動を開始。
「手に職つけた方が安心だし、モノづくりは昔から好きだったから面白そう」「これから伸びる業界に身を置いた方が安心」「授業でHTMLとか触ったけど苦手意識無かったし、まあ大丈夫でしょ」という動機でSEになろうと考えました。
そして、10社程度エントリー。
唯一内定をくれた企業は、金融・保険系に強いシステム開発会社のSESでした。

入社後、他社研修(という名のおままごと)や、面談時に「別に来てもいいけど、やることないよ?」とプロジェクト責任者に言われた案件(長くなるので割愛)などを経験すること約半年、ようやくプログラミングができる案件に配属されました。

読めなかったプログラミング言語が読めるようになり、書けるようになり、着々とスキルが身についていく日々。プログラミング作業への苦手意識もなく、日々任される業務を淡々と過ごす日々でした。

入社後、1年2か月を過ぎた頃。
「このまま仕事し続けるの、ちょっと嫌だな」
そう思い始めていました。人と話す機会も少なく、ただシステムを開発していく作業を続けていると、工場の機械になった気分になるのです。部品をただひたすら生産し続けるだけの、機械です。

モノづくりが好き。自分自身、そう考えていたのですが、どうやらそうではないらしい…と気付きます。

そんなタイミングで、部長面談がありました。
そして、キャリアプランを問われた時、頭が真っ白に。
プログラミングを極めていくのか、管理職などのマネジメント業務に進んでいくのか……どちらもピンと来ず。
同期が資格取得に向けて勉強をしていると聞いたので、私も同じようにやってみようと参考書を買ってみたものの、早々につまずきました。
会社の上司を見てみても、やっている業務は工程的には私とさほど変わらない。
となると、この会社に居続けても将来性はあまりない。
ここまで考え、思い立ちました。

「…転職だ!第二新卒のポテンシャルを買ってもらおう!」

そうして、転職を決意。

一度目の転職活動と挫折、そして退職

「他の人みたいに、自分の仕事に誇りを持って生き生きと働けるような仕事を見つけるぞ!」

仕事と同時並行で、転職活動の準備を始めます。
大学時代は得意なこと、手に職付けられる仕事という軸で就職活動を進めていたので、今度はやりたいことが叶えられる仕事に就こうと思いました。
【適職】【やりたいこと探し】のキーワードで検索して評判の良かった本を読んで情報収集をしました。

しかし、自分の考えや適性が明確になる気配が一向にない。
今の会社への不満や、自身のキャリアプランの不透明さはあれど、プログラミングという業務そのものへの不満は無かったため、迷いまくりました。

文章を書くのが昔から好きだったので、
「そういう仕事をしたいなあ」
と考えていましたが、それ以上の深堀りはできていませんでした。

また、自己PRの書き方も不十分でしたし、職務経歴書も転職エージェントに作成してもらったものを流用して使っていましたので、自分を売り込むという点においてダメダメでした。

そんな状態でふらふら転職活動をし続けているとき、とあるメディア運営会社から三次選考のお祈りメールが送られてきました。
薄い雲が浮かぶ秋空の下、一人、昼休みに大福を頬張りながらぼんやりと過ごしていた日のことでした。
「今回はご縁が無かったけど、あなたがダメな人間ってワケじゃないからね!今後仕事相手として一緒になんかやることもあるかもしれないから、その時はよろしく!私たちも応援してるよ!」というような、懇切丁寧な文章が添えられていました。

優しいなあと思ったと同時に、もうこれ以上は無理だなあとも思いました。

当時の私
当時の私

中途半端な状態で仕事を辞めようとしているし、しがみつくほどのモチベーションもない…やりたいことも明確にできていない…内定ももらえない…自分はなんて無能でダメな奴なんだ……

そうして一度目の挫折を経験し、強烈な自己嫌悪に陥ったまま流れるように退職。

半年ほどニートとして過ごす

仕事を辞めて一か月ほどは、何もできませんでした。
ただ布団で横になっていたら一日が終わっていました。

しかし、貯金が目減りしていくことは容易に想像ができたので、今のままではいられない。このままだと実家に戻ることになりそうだなあ、と天井を見ながら考えていました。

そんな状況を見かねてか、兄弟がいろいろと世話を焼いてくれました。定期的に会って会話をしていたので、ある程度私の状況が分かっていたのだと思います。
荷造りの手伝いから管理会社とのやり取りまで、本当にお世話になりました。

しかし、全部人任せというわけにもいきませんから、ほぼ動かない頭をどうにか動かしてタスクを進めていました。
選択と行動の連続をせざるを得なかったのが、当時の自分にとっては本当に辛かったです。
そして、使い物にならない自分への苛立ちや一銭にもならないのに手伝ってくれる兄弟への申し訳なさ、一人でこなせるべき作業を出来ていない情けなさなどがごちゃまぜになり、半ば八つ当たりのようなこともしました。

お互い疲れ切った状態で賃貸の退去日を迎え、全てがなあなあのまま、地元に戻ることになりました。
転がり込んだ先は、母と、その再婚相手が二人で暮らしている家。
そこでは、猫の世話と読書とアニメ視聴と映画鑑賞、そして罪悪感軽減のために食事当番を担当するなどして過ごしました。ニート開始後2か月ほどは、往復10分ほどのスーパー(週二、三)と、ハローワークに通う以外一切家から出ませんでした。

その後、友人からの誘いで映画を見に行ったり、別の友人主催の集まりで新しい交友関係が生まれたりして、少しずつ外出の機会が増えていきました。この外的要因が、社会復帰のための大きな一歩だったと振り返っています。

職業訓練校と雀荘のアルバイトで、いろんな人を見た

職業訓練校に通い始めました。
ここに集まる人たちは、年齢も性別もこれまで歩んできた人生も多種多様で、素敵な人ばかりで、自分が今まで見てきた世界って狭かったんだなあと気付くことができました。
ネガティブな人もいればポジティブな人もいる。この人は自分のことを認められていないんだろうな、この人はおおらかだけど自他の境界線をきっちり引いているな、など、【良い/悪い】という二元的な物差しを使わず人の性質をフラットに見ることができる場でした。

訓練校に通い始めたのと同時期に、正社員じゃないうちに何か面白そうなアルバイトをしたいと思って雀荘に面接に行きました。
予約の電話を取ったりドリンク作ったりするだけで、接待とかそういうのは無いクリーンな職場でした。

そして、勤務早々、店長(男)が客として遊びに来たことがありました。

美少女キャラのフルグラフィックTシャツの上にうさ耳パーカーを羽織って。

そんな店長がやっている雀荘ということもあり、オタクとばかりつるんでいた私にとってはとても居心地が良い環境でした。

転職活動、休んでは再開し休んでは再開し…

職業訓練校&アルバイト&転職活動という生活を半年間ほど続けていました。
とは言え、ずっと転職活動をしていた訳ではありません。

在職中同様、転職活動の軸が定まっていたとはとても言い難い状態だったからです。
当時の私は、こんな考えで転職活動をしていました。

  • 文章を書く仕事に携わりたいから、ライターとかメディア運営とか興味ある
  • でもWEBマーケティングとかもやってみたい
  • 正社員じゃないと嫌
  • 幅広い業務に挑戦したい

…とにかく選考に落とされました。

アピールできる経験があるわけでも、面接でしっかり説明できるほど自分の考えや自己PRを煮詰められていたわけでもなかったからです。

一方で、ありがたいことに内定を出していただける企業もあったのですが、転職で叶えたいことがふわふわしていたせいでイマイチしっくり来ず…
内定承諾書の就業条件に、事前に説明を受けていなかった項目が追加されていたこともあって、辞退。

まだメンタルが回復しきっていない状態で活動していたことや、気圧などの環境要因で体調が左右されやすい体質も相まって、転職関連のことを何もせずに一か月ほど過ごす時期が二、三回ありました。

知り合いから相談を受け、自分自身も働き方について見直す

職業訓練校の修了前後に、知人数名から、自己PRや職務経歴書に関する相談を受けました。
そして、流れでそのまま書類や文章を添削させてもらうことになりました。

この時びっくりしたのが、他人のアピールポイントであれば次々に思い浮かべられたことです。
自分のアピールポイントは全く思い浮かばなかったのに、です。
手伝わせてもらった人たちの中には無事第一志望から内定をもらえた人もいて、これまで苦戦してきた経験も無駄ではなかったと、報われた気持ちになりました。

転職活動で重要なのはズバリ、自分の思考の癖や自分の性質に対する理解・受容
まずは自分を知ることが大事なんだと、ここで気付きました。

現在

WEB関係の仕事に転職したいという考えは変わらないものの、経験を積むためにいろいろチャレンジしている最中です。
近いうちに居住地が変わる予定があること、低いハードルで実務経験を積めるという理由で、現在は派遣社員で進行管理の仕事をしています。一方で、自己受容・自己理解など、メンタルヘルスや心理学と転職を絡めた、『心に寄り添う』転職活動ブログも立ち上げました。

よろしくお願いします

転職活動に関するノウハウに加えて『心に寄り添う』情報発信をすることで、充実した人生作りのきっかけとなることができたら。

そう思ったのが、このブログの開設経緯です。

私の経歴を見ていただいて分かるように、このブログは「こんなことをやって転職に成功した!」「年収大幅アップ!」という方々が運営しているようなブログではありません。

しかし、【自分を知る】【自分と向き合う】ことを繰り返してきた中で得た知見と、その辛さを乗り越える方法については、実体験に基づいた情報発信ができます。

未経験転職の難しさや企業に合わせた自己PRの方法、業界や職種の適性など、転職活動にまつわる情報発信はもちろんですが、どういう仕事に就きたいかだけではなく、考え方の癖や人との関わり方を見直すきっかけを提供することで、その後数十年に関わる『生きやすさ』につながるような経験を提供出来たらと思っています。

これからよろしくお願いします!

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